うんこぶろぐ。鬱病患者うんこが綴る鬱病を治すブログです。

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ウンコは鬱病についてオープンなので(職場でもね)たま~に、
病前病後で何が変わったのか?と言う旨で質問される事がある。

それは非常に変わったので、変わったと答えている。

しかしこれ、非常に伝えにくい変化なので、一度文章に落とし込んでみたいなあ、と思っていた。いい機会である。

まず結論じみた話なのだが、
病後、と呼べるほど明らかに治ったのか、と問われると、
これ疑問なのである。

低気圧前にど~もほてり気味でアタマもボ~っとして機嫌も悪く右の鼻の穴がつまりちょっと頭痛があって、集中しにくい様な、だるい様な感覚、と言うのは明らかに認識できているが、
これは病前にも『実は存在していて』感度が上がったから『認識』出来ていると捉えた方がいいのかどうなのか


本人が曖昧なのである。

これ以外の不調というと、自覚できる(識域上は)ないのである。
以前であれば、若干の焦燥感のようなものも絡んだのだが、
これはぶっ倒れてから半年で消失している。

次に変化の点であるが、
ど~~も、
アタマがめちゃくちゃよくなったように感じられる。
別に驚くような閃きが出てくるだとか、
暗算が死ぬほど出来るとか、そう言うのではないのだが、
状況の認知と判断の速度がむちゃくちゃ速くなったように思われるのだ。

もうちょっと平たく言うと、
感情とそれ以外を切り離せるようになったとでも言うんだろうか。
切り離したときの感覚を認識したとでもいうのだろうか。

何をするにも、
やりたいとかやりたくないとかではなく、
まず『やる』とか『やらざるを得ない』などと言う事があると、
まず対象のあるべきイメージが先に立って、
次にこれを構築する為の手段(方法)が爆発的に想起されて、
そうこうしているうちにそのうちのベスト5案のうち共通の第一動作を開始している・・・と言うような、
およそメカメカしい動きが、
一切の『感情』抜きに可能になったのだ。
この調子で感情がフラットというか、
全く考慮にない状態でいられると、
次にとるべき最も合理的で効率の良い動作が完全に直観(経験に裏打ちされているもの、そうでない場合もあるんだけど)で選択されていく様なので、
簡単な事務処理シゴトなどは、そこそこ工数が多くて軸が2~3本あるような、多分平均的なヒトが嫌がる作業を、自己比率で病前の半分の時間で片がついてしまう。

その間、
感情の起伏とかそもそも感情と言うもの自体がなくなっている。
主体とか客体とかもなくなっているし時間の感覚もない。
集中しているかと言うと、集中しているようでもない。
アタマではほかの事を考える事が可能で、
しかし作業はむっちゃ早い。
疲労感があるかと言うと、作業後にめちゃくちゃ疲れる。
気疲れのような感じがするのである。

でも不快感ではない。
恐らくだらだらと倍の時間をかけて作業をしていたら、
恐らく病前の根性は既にないので、へばっている筈である。
だもんで、
ある種の意識的な防衛策なのかもしれない・・・けど。
うま~く活用できると破壊的な作業効率を誇れる。
こけると具合が悪くなるだけなので、結構諸刃ではある。

逆に、感情が先にたった時に、
論理の一貫性が保たれない暴力的な思考に支配される事に、
痛く気が付いた。
この状態だと作業効率はおろか、
作業自体ミスが増えるのである。

堂々巡りのようだが、
やっぱりこれって病前と恐らく変化がないのである。
しかし、
感受性というか、
捉え方に変化があった
と言うのが多分正しい。

その結果として、行動様式が変化した、
ってのが正解なんだろうなあ。

半年から、一年、掛かるけど。



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