うんこぶろぐ。鬱病患者うんこが綴る鬱病を治すブログです。

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前回に引き続き、
今度は『鬱病を治す』ことについて考えてみようと思う。

前回『鬱病は治らない』ということを述べた。
悲観的になる必要はない。
何よりも、
罹患者自身が疾病コンテクストから飛躍する事が先立たねばならないのである。

鬱病はその性質上、
脳の適応的反応であると捉えることがもっとも合理的で、医学的根拠がなくとも『最もリアリティがある』仮説命題である。

つまり、ここでは、
鬱病を疾病として扱ってはいけないのではないか、
という問題提起をしたいのである。

それでも尚、我々には
鬱病を疾病扱いしないといけない理由がある。
というのは、
鬱病が、
その罹患者の、
『社会生活に支障をきたす』という様態を提供するからである。

社会生活から我々を疎外する要因を、
我々は害悪なものとして決定付けねばならない理由がある。
『人間は社会的な生き物である』という命題である。

この命題は恐らく真である。
しかし、この命題が提供した記号『社会』の意味と、
用いられる文脈で機能する記号『社会』の意味は、
すでに乖離して異なる機能要件を必要としている様に見える。

反社会的な活動を『犯罪』、
社会的な活動からの疎外要因を『疾病』、『差別』、『偏見』、『貧困』etc...
と決定付けることで、
我々はこのキーワード群を逆説的に
『社会から疎外する』要因
として機能させているのである。

結局のところ、
では疾病である、病気である、
記号は社会的に何を意味しているのであろうか。

今はウンコの立場を明らかにせず、
読者諸氏の検討を願いたい。



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