うんこぶろぐ。鬱病患者うんこが綴る鬱病を治すブログです。

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自作自演シリーズ最終回。
究極だね。
ウンコは鬱病を原因とした、
家族や恋人、友人を自殺、
で失った事はまだない。
だから、こういうことを述べるのは筋が通らない事を承知の上で、しかしながら、
では自分がもし自殺したとしたら、
残された連中に何て遺して往くのかを中心に考えていこうと思う。

まず、いかなる理由があっても、
自殺を決断して遂行したのは本人だ。
だから、自殺の責任は、100パーセント本人にある。
それを、

鬱病に責任転嫁してはいけない。

鬱病は自殺を幇助するかもしれないが、
しかし鬱病を自殺幇助に駆り立てたのは、
本人の勝手だからだ。

自殺を幇助した要因が他にあるのかもしれないが、
その責を問うべきは、幇助した要因の責任で行えばいい。
後ろめたくなければ、何も気に病む必要はないのだ。
後ろめたければ、贖罪して生きていけばいい。

一方、
必死で看病したり、
引き止めたり、
勇気付けたり、
精一杯愛したにもかかわらず、
自殺と言う形で答えが返ってきたとしたならば、
それは、結局『その人の寿命』だったのだと割り切ってほしい。
貴方の努力が足りなかったのでも、
本人の努力が足りなかったのでも、
あるし、ない。
死んじゃったのだからもう関係ないのだ。
そんな事で議論しても、死人は帰ってこない。というか、死んだくらいだから、帰って来たいとも思っていないだろうし、そんな甘えを許してはならない
今となっては、残された側の人生を全うする事を考えるしかない。
喪に服するのは自由だが、でも残された側は、今は、生きているし、その限りで生きていかねばならないからだ。
死んだ本人をどう思おうが、
それは残された側の責任で好きにしたらいいのである。

もう一度言うが、
死んだのは寿命だったからである。
仮に自殺してなかったとしても、
恐らく死んだ人間は死んでいただろうと思う。
他の要因で。

解決が楽だからと言って、
死んだ要因を『鬱病』に添加するのだけはよした方がいい。
『鬱病』は人を殺さない。

自殺した人間を殺したのは、
自殺した人間なのだ。
自殺も他殺と同じことなのだ。

自分と言うのは本来、複数の自分モジュールを統合した、統括部分の事を言っている。
自分はひとつではない。
統合しているから、ひとつと勘違いしているだけの事だ。
ある自分がある自分を殺す事だって実際にある話だとウンコは考える。
統合させる力(悟性)は、理性と感性の狭間に立ち現れた陽炎のようなもので、
僕らはそれを迷信して生きている。


そういうことを目の当たりにしたと思えばいい。


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